あすぴょんさんとのご縁が切れてからすぐの頃だったと思う。その時の僕は燃え尽き症候群で、仕事にも婚活にも全く意欲がなかった。ただ目の前のやるべきことをこなし、1日一回マッチングアプリを開いて薄目で検索する程度。もちろんそんな状態だから、いいご縁に恵まれるわけがない。加えて、好きなものを食べたい気持ちも、お酒を飲みたい気持ちも、沸いてこなかった。なんかもうどうでもいいや、というマイナス思考で日々をこなしていた。
そんな感情で淡々と生きていたある日、ふと、職場の最寄駅にあるカフェの看板が目に止まった。その看板は、今月のおすすめ商品や期間限定商品の写真が、掲載されているものだ。普段の僕なら目をくれることなく素通りしているが、この時は何故か興味を惹かれて甘いコーヒーが飲みたくなったのだ。
その魅力的な看板に導かれるように入店した僕は、レジに並んだ。無事に注文を済ませた後、受け取りカウンター付近で自分のドリンクが呼ばれるのを待つ。その時だった。
「すみませーん。これシロップ多めって注文したんですけど、本当に多めですか?あとホイップ多めでソース追加もお願いしたんですけど、どう見ても少ない気がします。少ないですよね?確認して作り直してください。急いでるんですけど」
妙に高圧的で威圧的な女性の声が、レジカウンターで響いた。僕はちらっとそのトラブルの先を見る。店員さんが申し訳なさそうに平謝りしているというのに、それでも怒りが収まらないのか、女性はチクチクチクチクと不満を言い続けていた。その内容が苦しい気持ちになるもので、"毎日のように利用しているのに今までこんなミスはなかった"とか、"新人が作ったのならちゃんと作れるまで教育しろ"とか云々。
僕はこういうクレームというのが、言うのも聞くのも苦手だ。自分が言われている気持ちになって、心がずーんと重くなる。思い出しては悲しくなる。確かにはっきり言わないといけない場合もあるが、そういう時は一回だけでいいと思う。延々とネチネチ言い続けるのは、クレームを通り越していじめだし、営業妨害だ。
朝から嫌な場面に遭遇してしまったなと思っていると、ようやく僕の番号札が呼ばれた。ちなみにクレーム女性は、まだ文句を言い続けている。本当にやだなと思いながら、その女性の横で僕は商品を受け取ろうと瞬間、一気に血の気が失せた。
なんとその女性は、マッチングアプリで一度だけ会った、タケウチさんだったのだ。
え……なんで……。頭の中がパニックで真っ白になってしまった。そういえばタケウチさんの職場と僕の職場の最寄駅、同じだったっけ……と思い出す。たった一度会っただけと言えども、こちらからブロックしてしまった手前、気まずい。しかも相手は、店員さんにくどくどとクレームを言い続ける性質の、粘着質たっぷりのタケウチさんだ。気づかれたら、やっかいなことになる。
どうしよう、はやくここから出よう。僕は慌てて商品を貰って、立ち去ろうとした。しかし神様は、味方してくれない。ちょうどカウンターに背を向けた僕の目と、言いたいことを言いまくって満足してカウンターから移動しようとしたタケウチさんの目が、ばっちり合ってしまったのだ。
……やばい。
「……あ!」
タケウチさんが僕に向かって声を上げて指を差した。しかし僕は歩みを止めずに軽く会釈をして、足早に退店した。後ろを振り返らずに、尋常ではないスピードでダッシュ。さすがに追いかけてはこないだろうが、とにかく捕まらないように必死で逃げた。ちなみに息切れしながら汗だくで職場にたどり着いた時は、僕のドリンクは半分以上こぼれてしまっていた。
この日以降、僕は通勤時間を30分早めることにした。そして職場の最寄駅のカフェにも絶対に寄らないと心に誓った。その甲斐もあって、タケウチさんにばったり会ったのはあれきりだ。油断せずに、今後も会わないように用心したい。
一生会わないと思っていた相手に予期せぬ状況で会うこともあるのだと、身をもって知った出来事だった。