蒲田生まれ、蒲田育ち、蒲田在住の僕は、心の底から蒲田を愛している。だがそれと同じくらい、世間で蒲田という街がどういうイメージを持たれているか、風当たりの強さを痛感している。だから、いくら蒲田に誇りを持っていても、自らすすんで蒲田に住んでいると公言するのは、少し躊躇してしまう。蒲田住みと言った途端、周囲の反応がおかしくなるのが、手に取るようにわかるからだ。しかし……
Dさんの反応は、僕の想像とは逆のものだった。
「へえ〜ずっと蒲田に住んでるんですね。え、実家が蒲田?すごい、超都会っ子じゃないですか。でも実家に住んでないんですか?一人暮らし?もったいない!せっかく実家が23区にあるのに。23区に実家とか憧れる〜。私なんか東北のど田舎出身なんで、もう羨ましいって感じです。しかも飲兵衛の街、蒲田!うわあ、いいなあ」
「……そんな風に言ってもらえたのは初めてです。蒲田に住んでると言うと、結構微妙な反応されるんですよね」
「あー、確かにそういうイメージありますよね。でも蒲田ってそんなに治安悪いかな?ちょっと酔っ払ったおじさんが、駅前で寝転がってるくらいじゃないですか?」
「以前よりは見かけないですけど、たまにいますね。寝転がっているおじさん」
「そんなの全然可愛いじゃないですか。寝てるだけならこっちに害ないし。それよりも、若者が多い渋谷新宿池袋とかの方が、ずっとタチ悪いと思いますよ。それと比べたら、蒲田は安全です」
もしかしたらDさんは、大人の対応をしてくれているのかもしれない。本心はどうであろうと、蒲田を貶さずに、むしろ蒲田上げをしてくれるDさんに、僕は好印象を持ち始めていた。「今度おすすめの飲み屋さん連れて行ってくださいよー!」と言うDさんの社交辞令にも、快くイエスと応じることができるくらいに。しかし……
「蒲田にはよく来られるんですか?」
「今はたまにしか行けてないですけど、昔はよく行ってましたね。週に数回は」
「すごいペースですね!お気に入りの居酒屋さんがあったんですか?」
「あ、実は元彼が蒲田に住んでたんですよ」
あ。これは、聞いてもいないのに、過去の恋愛遍歴を語りだす感じの空気だ。
「……といっても大学生の頃の元彼なんですけど。めちゃくちゃバリバリの悪だったんですよ。もうバチバチにキメちゃってて。ここでは言えないことを、ガンガンやってましたね。その人が蒲田住みでした。当時、東北のど田舎から出てきたおのぼりさんの私は、世間知らずだったからなー。そういうアウトローな人?に、コロっといっちゃって。とにかく彼に会いたくて、蒲田に通いまくりましたよ。え、大学生ってことは、20年以上前の話?やばー」
唐突に始まったDさんの過去の恋愛話に、僕はすーっと心が引いていった。相当語りたくて仕方ないんだなと思った。別に他人の恋愛話を聞くのが嫌というわけではないが、会って間もない人間の男性遍歴を聞かされても、正直反応に戸惑う。しかも、かなりイタすぎる武勇伝ときた。
それに例外もあるが……一般的に女性の恋愛話はとにかく長い。案の定Dさんは、蒲田出身のその性悪だった元彼の話を、長々と語り聞かせてきた。
「ほら、女性ってちょいワルに惹かれるじゃないですか。その元彼も悪を地で行くような人で。一通りアレな感じはやっていて、よく警察のお世話にもなったりしてましたね。結局彼の浮気で別れたんですけど。今はどうしてるのかな」
悪を地で行くような人……?それは一体どんな人だ?そんなヤバい人が、蒲田では野放しになっていたのか?よく警察のお世話になったりって……まさかお縄じゃないよな?さすがに……ちょっと話盛ってないか?
「Dさんは人生経験が豊富ですね……」
「あー、その顔!信じてないな?これはマジな話ですからね?あの人のことだから、今頃は牢屋かなあ〜。あはは、さすがにそれはないと思いたい!えー、懐かしい。彼が住んでた家、今度見に行ってみようかな」
「牢屋……?」
「ホピ沢さん、真面目?牢屋って刑務所ですよ!あはは!」
そんくらいわかるよ!わからないわけねーだろ!そういう悪を地で行くようなヤツは、蒲田に住むなよ!蒲田に住む資格ねーよ!もう一生刑務所入ってろよ!出てくんなよ!
「ちなみに私は、蒲田からは遠い、あっちの方に住んでます。学生に人気の街系です。わかります?」
「……下北沢とかですか?」
「正解です!蒲田には負けますけど、下北沢にもアレな感じの飲み屋ありますよ」
ところでDさんの話は、"バリバリ"とか、"バチバチ"とか、"キメちゃって"とか、"一通りアレ"とか、"あっち"とか……色々曖昧な表現が多い。Dさんからは、”言わなくてもニュアンスで察してほしい"オーラが出まくっていて、それが結構大変なのだ。
なんだか、だんだんDさんの話を聞くことに、疲れている自分がいた。
