「あの、あすぴょんさん。あすぴょんさんは以前、埼玉県から出ることを考えていないとおっしゃっていましたよね。ご両親もあすぴょんさんが埼玉県から出ることに難色を示していると伺いましたが、そのお考えは今もお変わりないのでしょうか。不躾な質問ですが、そういったお考えなのに、どうして埼玉県民ではない僕とマッチングしていただけたのか不思議で……」
無礼な聞き方だったかもしれない。 しかしこれは、どうしても聞いておくべき質問だと思った。もしあすぴょんさんの考えに変更がなければ……あすぴょんさんと僕のご縁はここでおしまい。その理由は、現段階では、僕は埼玉県への移住の予定はないからだ。
「そうですよね。不思議ですよね。自分自身も埼玉県から出たくないなと思いながらマッチングアプリをしていたはずなのに、都民のホピ沢さんとマッチングしたことに驚きました」
「……」
「当初は埼玉県民、もしくは今は埼玉県民でなくても、いずれは埼玉への移住を了承してくれる男性を望んでいました」
店内はBGMや人の話し声が響いているはずなのに、何故か水を打ったようにしんっと静まり返っているように感じた。あすぴょんさんが居住まいを正したので、僕も無意識に背筋を伸ばす。あすぴょんさんの言葉を一字一句逃さないようにと、真剣に耳を傾けた。
「やはり本心は、私の実家の近くに住み続けてくれる方がいいなと思っています。それに私自身埼玉が好きなので、今更別の都道府県に住むのはちょっと……という気持ちもあります。でもそれでは出会いが狭まりますし、そもそもそれでは相手が見つからないので……というか、全然見つかりませんでした。当たり前ですよね」
「そうなんですね……」
「それで気が進まなかったのですが、希望対象の男性を、埼玉県在住だけではなく、首都圏在住の方にまで広げてみました」
「そうですか……」
「でも全然マッチングしなくて。マッチングしないのは私に市場価値がないからなんですが、こんなにもマッチングしないなんて思わなくて。心が折れました。失礼なことを言ってしまいますが、そんな時ようやくマッチングしたのがホピ沢さんだったんです」
「そうだったんですね……」
「ホピ沢さんが都民ということに引っかかりましたが、いざお話しすると楽しくて。マッチングする前までは譲れないこととか色々考えていたはずなのに、気づけば埼玉県在住とか移住とか、そんなことはどうでもいいやと思うようになっていました。でも今ホピ沢さんにそう言われて、そういうことを思い出しました」
「……では今は、絶対埼玉県がいいとか、お相手にあすぴょんさんのご実家のそばに住んでもらいたいとか、そういうことではないということでしょうか。あすぴょんさんが埼玉県から出て、他の都道府県に住む選択肢もおありだということでしょうか」
あすぴょんさんは首を傾げた。
「私はそれでもいいかなと思いつつありますが、その件は最終的に父に聞いてみないと……ちょっと……わからないです……」
アイスカフェラテにささっているストローをくるくる回しながら、あすぴょんさんは答えた。僕は無理やり口角を上げて、そうですかと笑みを作る。あすぴょんさんは、結婚は当人同士よりも家同士の問題だと考えているのかもしれない。しかし36歳の女性が自分自身で判断できないところか、躊躇いもなく口にした「父に聞いてみないとわかりません」には、ちょっとどころか、かなり引いてしまった。
すーっと気持ちが冷めていく感覚を味わっていると、あすぴょんさんが「ホピ沢さんは」と切り出した。