人混みを避けて切符売り場に立っていたあすぴょんさんらしき女性は、完全に気配を消して、まるで周りの景色と同化するように立っていた。
黒のブラウス、黒のプリーツスカート、黒のバック……まるで喪服のような全身黒コーデのあすぴょんさん。
気のせいだろうし、失礼なことを言っている自覚はある。しかしあすぴょんさんの服装や醸し出す雰囲気から、周囲から注目されたくない、目立ちたくない、という意志を感じた。
こっそり隠れるように佇むあすぴょんさんには、なんとも言えない影があった。"誰も私に近づくな"、とでも言わんばかりのバリアが張られている。思わずあすぴょんさんに声をかけるのが、躊躇われるほどに。
「あのう……もしかしてホピ沢さんですか?こんにちは。私、あすぴょんです。今日はよろしくお願いします」
僕が逡巡していると、いつの間にかあすぴょんさんが目の前に立っていた。驚いて無意識に後ずさりすると、それに合わせてあすぴょんさんが近づいてくる。
「はい。ホピ沢です。本日は来てくださってありがとうございます。お会いできて嬉しいです」
「こちらこそありがとうございます。わざわざ切符売り場に来てくださって、申し訳ありません。ホピ沢さんは、地理に詳しいんですね。私は、方向音痴で……」
「僕もそんなに得意ではないです。大きな駅は迷ってしまいますよね」
「よかったあ、ホピ沢さんも方向音痴なんですね!私だけかと思いました!」
僕は、方向音痴ではない。
出だしは、よくわからない会話から始まった。あすぴょんさんはやたらと方向音痴をアピールするので、僕はそれに合わせて相槌を打つ。どうやらあすぴょんさんは先日も大宮駅で迷ってしまい、途方に暮れていたそうだ。幸い会う予定だった友人が迎えに来てくれたおかげで事なきを得たというのだが……それを聞いた僕は困惑した。
途方に暮れるほど迷うって……どういうことなんだ?
「普段大宮駅は利用されないんですか?」
「週に一度は仕事で利用しますけど……どうしても迷っちゃうんです」
おい、あすぴょん!週に一度利用してるって、お前完全に大宮駅ユーザーだろ!なんで迷うんだよ!迷う意味がわからないよ!もうそれは方向音痴ってレベルじゃねーよ!
「では立ち話もなんですし、そろそろカフェに向かいましょうか。あすぴょんさんのおすすめのカフェがあるんですよね?」
「はい。うーん、でもここからどうやって行くんだったかな……」
「……カフェの名前教えていただけますか?地図アプリで調べますよ」
「えっと、ドトールです」
「え……?」
聞き間違いかと思った。
「ド……ドトールですか……?」
「はい、ドトールです。もしかしてホピ沢さん、ご存知ないですか?」
きょとんとした顔で僕を見つめるあすぴょんさんに、僕は開いた口が塞がらなかった。
いやドトール知ってるよ!めちゃくちゃ知ってるよ!ドトールを知らないわけねーだろ!知らなくて驚いたんじゃねーよ!マッチングアプリの初回デートに、ドトールをチョイスしたお前の選択に唖然としてるんだよ!
僕は理解の範疇外の提案に、とてつもなく動揺していた。