「……ちょっと気持ち悪いです」
サリーさんは、その場にしゃがみ込んだ。さすがに嘔吐はしなかったものの、その気になればすぐにでもリバース、という雰囲気だった。
まずはサリーさんをトイレに連れて行かねば、と思いはっとする。新大久保で公共のトイレを探すのは、極めて困難ということを思い出す。確か駅の女性用トイレは長蛇の列だし、それ以外にふらっと気軽に利用できるトイレを僕は知らない。もしかしたらトイレを探している間に、サリーさんは我慢できずにゲームオーバーを迎えてしまうかもしれない。
「サリーさん、トイレに行きましょうか。さっきのお店でトイレ貸してもらいましょう」
迷った末、先ほど食事をしたお店に戻ることにした。嫌な顔をされるかもしれないが、お願いしてトイレを貸してもらおう。緊急事態だし、サリーさんはあのお店の常連だから、きっとなんとかなる。
僕はサリーさんに、 「我慢せずに吐いてもいいですよ」と声をかけた。苦しいならとにかく全部吐いてしまえ、と思う。しかし正直、僕は狼狽えていた。ほぼ毎週蒲田で飲み歩いている僕は、酔っ払いの扱いには慣れしている。が、酔い潰れた女性を介抱するのは初めてのことで、サリーさんに対してどう接するのが正解なのかわからなかった。
「ホピ沢さん、トイレは大丈夫そうです。このまま帰ります。本当にすみません……」
往来の真ん中でうずくまるサリーさんは、明らかに通行の妨げになっていた。道ゆく人々が、ジロジロと訝しげな視線を送ってくる。その中にはまるで僕を変態野郎とでも言いたげな疑惑の眼差しもあり、すごく怖かった。圧倒的に男性よりも女性が多い新大久保では、確かに40歳のおじさんは浮く。しかも蹲っている女性のそばで、なんかやってるおじさん。疑いたくなる気持ちは、わからなくはない。だからって、その目つきはあんまりだろう。
「サリーさん、大丈夫ですか。立てますか」
具合が悪いサリーさんを立たせるのは心苦しかったが、一刻も早く他人の邪魔にならない場所に移動しなければ。なにせ、視線が痛い。
「つらかったら僕に掴まってください。腕、触りますよ!肩、触りますよ!はい、立ちますよ!」
僕は誰に聞かせるわけでもなく、誤解を招きたくない一心で大袈裟に宣言した。今回は状況が状況だからやむを得ずサリーさんに触れているが、本来であれば触れたくない。とにかく、疑われるような行動は避けたいのが本音だ。
「サリーさん、自販機でお水買ってきました」
「すみません……お水もらいます……」
サリーさんがお水を飲んでいる間、僕はどうしようか考えていた。泥酔したサリーさんを、一人で電車に乗せてもいいのだろうか。 そもそもこの状態で一人で帰れるのか?僕が赤羽まで付き添うべきか?いやでも素面に戻った時、僕が赤羽にいたらサリーさんは何を思うだろう?チビでキモい変態野郎が私の家に上がる気満々だ!って、勘違いされたらどうする?
「あの……もう一本お水買ってきてもらってもいいですか?」
「あ、はい」
「あとさっぱりしたジュースも、お願いします」
「……」
僕の気など知らず、サリーさんは遠慮なくごくごく水を飲んでいる。具合が悪くて他のことを気にする余裕などないのだろうが、なりふり構わずと言う感じだった。「うー」や「あー」、「もう絶対飲まないー」などと呻いている。
お酒が好きな僕も、これまでの人生で数々のお酒の失敗を繰り返してきた。人には言えない奇行をしたこともある。だからサリーさんを責める気にはならない。しかしちょっとは申し訳なさそうに言ってもらえると……あと脇毛見えてる……。
言われるがままに自販機でお水とスポーツドリンクを購入した僕は、サリーさんを一人で電車に乗せてしまうか、赤羽までお供するか悩んでいた。その時、ふと視界の端に、黒い車が映ったことに気がついた。
そうだ、タクシーだ。