これまで終電に間に合うような恋愛しかしてこなかった自分を、呪いたい。40歳にもなって、女性一人も上手くいなせないのだ。己の未熟さを、心底恥じた。 「ここからバーまで少し歩きますけど、いいですか?」
「もう遅いですから、また次回にしましょう。すみません、帰ります」
「ちょっとだけですから、大丈夫ですって」
おい、タケウチ!人の話聞けよ!全然大丈夫じゃねーよ!
「今から行くバー、元カレとよく行ったところなんですけど。すごくお洒落なんで、ホピ沢さんにも紹介したいなあって」
今すぐ逃走したい。
そう思った時、ふと焦燥が騒ぐ僕の脳裏にひらめくものがあった。ひらめくものと言ってはいるが、実際は本当にくだらない子供じみた考えだ。
だが今の僕には、くだらなくても必要な救済策。苦し紛れの作戦を決行しようと、僕はタケウチさんに視線を合わせた。婚活市場では……いや婚活に限らず、男性にとっては致命的。一発で嫌悪感を持たれる一言をかましてやる。
「タケウチさん、すみません。実は、母と犬が家で待っているんです。なので、今日は帰ります」
もちろん母と犬は、家で僕の帰りを待ってはいない。母と犬は実家住まいだ。そもそも僕は母と一緒に暮らしていないし、家の鍵も渡していないのだから、そんなシチュエーションは絶対にありえないのだ。
「母と犬には終電までには帰ると言ってしまったので、帰らないといけないんです」
マザコン。
母と息子の近すぎる距離感に不快感を抱く女性は、非常に多いだろう。ちなみに僕と母の関係は、そういったイメージに当てはまらないと思っている。と思いたい。
あえて嘘をついてでも、タケウチさんに、"どうしようもないマザコンパワー"を、見せつける必要があった。そうでなければ、タフなタケウチさんを振り切れないと思ったのだ。
案の定、タケウチさんはすっと真顔になった。僕のショルダーバッグの紐を握っていた手が、離れる。
「え……?お母様が待ってる……?え?でも一緒に暮らしてないって言ってませんでした?」
「はい、一緒には住んでいません。でも今日は僕の家に泊まるそうです」
「……」
「ではここで失礼します。今日はありがとうございました」
まさに絶句といった表情のタケウチさんに別れの挨拶をして、僕は早足で改札をくぐり抜けた。なんてことないようにタケウチさんを出し抜いたが、心臓は尋常ではないくらいバクバク。もしかしたらタケウチさんが鬼の形相で追いかけてくるのではないかと、ビクビクさえしていた。
しかし電車を乗り継いで馴染みの京浜東北線に乗った瞬間、ようやくタケウチさんとさよならできたという開放感を実感できた。そして、決意する。
タケウチさんをブロックしよう。
そうと決まれば、あとは実行するのみ。帰宅後入浴をして就寝準備を整えた僕は、ベッドに寝転がりながらマッチングアプリを開いた。
奇天烈なタケウチさんの言動に困惑させられた反動でつい文句を言ってしまったが、実際タケウチさんは僕に会ってくれた。今日のために貴重な時間を割いて僕に会ってくれたお礼も送らずに、彼女をブロックするの心苦しかったが、致し方ない。